堺県
かつて堺県が存在していたことをご存知ですか?
明治元年5月に、摂津・河内・和泉の三国は大阪府として発足しましたが、翌月には和泉国を分離して「堺県」(今は無い)が設置されました。
その後 明治4年に堺県は、さらに河内国14郡つまり淀川の南を取り込み大阪府よりも大きな県になりました。その上、明治9年には奈良県全部を統合してしまう事になります。
明治11年には、全国的に区郡制がしかれ、堺県下には、1区9郡が置かれました。1区は堺区でそこには区役所が置かれ、9郡は湊、岸和田、古市、八尾、枚方、奈良、三輪、御所、五条の各郡で、それぞれ郡役所が置かれたのです。奈良市は「堺県奈良郡」となりました。やはり、これには大分無理があったようで、明治14年になると堺県は全部廃止(堺は大鳥郡堺)となり、奈良もろとも大阪府に併合されます。
(堺県庁があった本願寺堺別院)
次いで、明治20年11月には、奈良県が大阪府より分立され、奈良市は奈良県 添上郡 奈良町となります。奈良県は再び奈良県にもどったのです。
明治23年にほぼ現在の府県制、群制度が確定しますが、堺県は明治元年から14年まで存在していました。
最近、政治的に似たような状況になっています。
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